受け継がれる伝統の難しさ

私が卒業した頃の愛媛県立東予工業高等学校は、勉強は今一だが健康体の猛者が多数集結していた。入学直後より縄張り争いではないが各中学校単位でよく喧嘩をしたものだ。
今ならマスコミが騒いで大変でしょうが・・・・。
しかし不思議と今で言う『いじめ』はなかった。必ずボスがいて裏のボスがいた。
ボスがいじめていても必ず裏のボスが来て『いい加減にしろ!』の一喝でそれで全てが終わりいじめられてた生徒は、裏のボスに感謝していたものだ。
スポーツといえば、サッカー、登山部、応援団、バレー、剣道、柔道と全国大会に四国大会、国体まで出場する選手がワンサといた。サッカーでは当時愛媛県立壬生川工業高等学校という名前で全国大会2位にもなった学校でもある。
我が剣道部もインターハイを狙えるチームで剣道をしたいために様々な所から選手が集まっていた。
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夏は、7泊8日の強化合宿。なにせ逃げて帰ったやつもいるほど。
朝6時に起床し通称【おしぶの森】までの4kmの道のりをランニングその後このおしぶ森には270段の石段があり、勿論うさぎ跳び、いまや絶対に見られない光景でしょう。 「このうさぎ跳びを私は隠れてごまかしていたのよくばれて、2往復3往復させられたものです。ゞゞゞ」
そしてまた4km走って帰り柔軟体操に素振り、その後朝食「食べれるわけがない。水ばっかり」
それからのメニューは以下の通り
【9時から12時まで】
切り返し、かかり稽古、追い込み、当り稽古ひたすらです。監督の機嫌が悪いときは休憩なし。ということは水を隠れて飲めない。そぅ私達の頃は、水を飲んだら体力の消耗に繋がると飲めない時代でした。
【13時から15時】
自稽古、かかり稽古、追い込み、切り返し
又は他校からの練習試合の申し込みがあれば試合《これが最高に楽しい一時だった。その頃私達強かったから色々な高校が着てくれて相手が弱いから練習が楽だったから・・・》
【16時から17時30分】
休憩と夏休みの宿題・・・(するわけ無い、ひたすら寝る)
【18時から21時】
OBとの申し稽古  《これがかなりきつかった。》意地悪な先輩は20時55分頃に来て着替え始め「さぁ!やるぞー」の一言。  この頃すでに私達は意識もうろう、先輩が最後尾に並び1年生が最前列へそしていざ突進。もちろんゲイゲイ吐きまくり。
【21時30分頃】
晩飯!!うまい最高。食堂のおばちゃんが《体力をつけないけん。腕によりを込めて作ってくれた、巨大ハンバーグに焼肉そしてサラダの大盛り》もちろんご飯は監督命令にどんぶり飯大盛り3杯これ必須。「おいしいよおばちゃん、おいしいよおばちゃん」といいながら交代でトイレに駆け込む部員達、トイレから戻ってくると減ってたはずの巨大ハンバーグは元の量に!!そぅ、先輩からのプレゼント。やさしいね先輩!!ありがとう。と苦しい涙のお礼。氷水をぶっ掛け塩をぶっかけご飯を流し込んだのを良く覚えています。
それからは、風呂に先輩の剣道着の洗濯そして就眠《もちろんエヤコンなんかないから熱いし寝れないし》夜中中、学校のプールで浮いていたのでした。

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それが今では部員0 剣道場もご覧の通り。なんか他の事に使用しているみたい。右奥にある剣道部OBの名前をずらり書いた木の札をかけていた枠の中には今や諸先輩方の札は一枚もなく当時の面影を見る芳もなかった。残念
そんな折、marubun社長真鍋先輩に連絡(この方かなりイタリアン料理で有名な方)当時の鬼監督の玉井治樹先生が今年定年退職をすることを相談し来年送別会を行うことに決定。[今までの画像は先輩の名前を調べるために学校に行ったときに撮影させていただいたものです。]

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血と汗と涙が染み込んでいるこの部旗。今後これを守ってくれる後輩はでてきてくれないのでしょうか?もともと剣道人口は毎年減少の一途をたどっています。日本の武道の衰退、それは日本人の礼儀心がなくなるものではないかと淋しがるのはわたしだけでしょうか?
伝統を守る・永く伝えるということは、人がいなければ続かないということでもあるのです。その人というものが今の日本では簡単に、扱われるようになったのです。

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【おしぶの森とは】
平野の中にこんもりとした標高60mの森「四尾山」山頂の福岡城跡には、福岡八幡神社が祀られている。西尾山には、樹木の種類も多く大正13年、国の天然記念物の指定を受けたが、たび重なる台風被害により昭和48年解除された。

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